三日月の館

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浄古寺城(甲斐国)

登城日  2017年 4月13日(木)晴
難易度  ☆☆
場所    山梨県山梨市牧丘町城古寺770-1

甲府盆地の奥地に埋もれた織豊期の城郭です。

詳しい地図で見る

乙ヶ妻のしだれ桜から帰り道。
長い下り坂なので、レンタサイクルを漕がずに楽して帰れたのだが、
どうしても西側の台地に見える大きな桜が気になって寄ってしまった。
何か呼んでいるようだったので…
まず、目指したのが西念寺
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お地蔵さまがお出迎え。
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いつもにこにこ見てござる。
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脇に立派な枝垂れ桜。
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南から。
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東南から。
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東から。
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この桜だったのかな?
もう一つ南にも見えたので行ってみたが…
な~んだ、一本桜じゃないんだ。
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ガッカリして帰ろうとした時、見つけてしまった!
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【史跡中牧城(浄古寺城)址】

中牧城は、東麓に琴川・笛吹川、南麓は鼓川を隔てて向山に対する高操たる丘地である。
天文17年(1548)、武田信玄は土地の豪族大村伊賀守に命じて築城す。
武田氏滅亡後に天正17年(1589)、徳川家康により再建修復す。
城の規模は、東西約330m、南北約430m、本丸は、東西約160m、南北約200mで、その他、天守台跡、二の丸、三の丸跡大手門、搦手門跡、城内鎮守八幡社、塹壕跡を存す。
中牧城は土塁より成り、石壁は見あたらない。

平成2年3月
牧丘町教育委員会

どこ?
ここが説明文にある城内鎮守の八幡社かな?
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境内へ入るともう一枚説明板があった。
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【中牧城跡(浄古寺城)】
国指定文化財

武田信玄の時代にこの地を北国防備のため天文17年(1548)に土地の豪族大村氏に命じて築城されたもので、大村加賀守、伊賀守が城主となるが、天正10年(1582)武田勝頼滅亡のあと中牧城兵は徳川家康に反抗して破れ、家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり、天正17年(1589)に築城修復をしている。
城の規模は東西約330m、南北約430mで本丸と天守代(台)跡、二の丸、三の丸、大手門、搦手門跡や城内鎮守八幡社周囲の塹壕も一部分は昔を偲ぶことが出来る。
附近には城にまつわる地名で屋敷、堀の内、替地、請地、田屋(胎屋)堀端などがある。

平成16年12月
牧丘町教育委員会

周辺図によると、ここはすでに城内で二の丸のようだ。
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二の丸を見渡す。
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天守台の礎石ってどれ?
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説明板を見たら、急に本丸の石垣に見えてきた。
(土塁より成り、石壁は見あたらないと書いてあるが…)
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本丸へ向かう。
この道は内堀跡かな?
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ブドウ畑になっているので斜面が緩やかだが、往時は急だったんだろう。
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本丸の様子。
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桃かな。
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おー、周囲を土塁が廻っている!
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失礼しま〰す!
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天守台。
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碑が建っています。
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碑から本丸を見渡す。
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碑から南西方向を見下ろす。
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碑から内堀を見下ろす。
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八幡社の周辺図だと、天守台は本丸の北西隅なんだけど…
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戻って本丸を北側から出る。
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内堀。
右側。
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左側。
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内堀沿いを西へ進む。
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本丸北西隅。
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こちらに天守が建っていたのかな?
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本丸西側内堀。
遠くに天守台跡の碑が建つ櫓台跡が見える。
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さらに西側の外堀跡(鳥ノ口堰)を見下ろす。
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遠くに西念寺の枝垂れ桜が見えました。
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北側の曲輪にも土塁が廻っている。
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もう一度本丸内堀西側を見る。
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北側を見る。
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本丸を出た所に戻る。
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北の曲輪へ。
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北側の土塁上。
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土塁上から北の曲輪を見渡す。
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土塁の北側の道は深い堀切。
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城はここまでか。
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遠くに乙ヶ妻のしだれ桜が見えた。
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東麓へ下りて行く。
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東側の切岸。
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東麓から見上げる。
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再び八幡社目指して登って行く。
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眼下は鰻堀跡。
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本丸と道路の間は馬出し。
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八幡社のある二の丸へ戻って来ました。
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八幡社の東側の外堀跡を進む。
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外堀跡から八幡社を見る。
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二の丸東側を進む。
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二の丸東南隅。
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西へ進む。
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少し進んで振り返る。
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西を見る。
この辺りから二の丸と三の丸の間の外堀は不明瞭になる。
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突き当たりの民家の裏手からまた外堀跡が復活するが、入れないので本丸へ戻る。
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本丸から二の丸を見下ろす。
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二の丸から本丸を見る。
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道路の左側に土塁跡。
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二の丸から下りてきた所。
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本丸西側外堀跡(鳥ノ口堰)。
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最後に八幡社を南下した所にある城古寺公民館。
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ここが大手かな。
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公民館の南側に宝篋印塔。
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説明板。
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思わぬ発見だった浄古寺城でした。

(おまけ)

南麓の神明社
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桜がきれいでしたが…
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さらに南下するとかの有名な恵林寺
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こちらも境内の桜がきれいでしたが…
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時間が無くなってしまい今日はパス。
あの坂道でブレーキをかけなければ立ち寄っただろうに。